船で漂流ギリシャに渡ったウイグル人のお話

こんにちは、Yoshです。

ベルリンからこんばんは。

ギリシャにいたときに色々な難民の人に会いました。その時のお話をシェアしたいと思います。

ギリシャで会ったある一人のウイグル人のお話です。色々な話をしたいので、長いです。

個人の特定が出来ないように地名、その他の詳細は変更実際と違う場合がありますのでご了承ください。

ウイグル人との出会い

彼の日本名は『浜田さん』、彼がソーシャルメディアで日本語話せますと書いていたのが偶然目に入り、私が当時働いていた会社で日本語ができる人を探していたため連絡をして、お茶をして、友達になりました。

結局ビザの件や、様々な事情で彼は就職することはありませんでしたが、私にとってギリシャで一番の友達となりました。

そんな浜田さん、実は子供の頃に出会った日本人観光客に日本語の雑誌をもらったのがきっかけで日本に興味を持ち、独学で日本語を習ったのだそうです。その後、他の観光客に電子辞書をもらったのだとか(この日本人は気前がいいですね!)

その効果か、彼の日本語のしゃべりは私が今まで出会った日本語スピーカーの中でもナンバー1とも言えるレベルでした。(なのでスカウトしたかったのです)

ひとり船でトルコを脱出後、ギリシャに流れ着いた

浜田さんはトルコから船を調達し、長期戦に対応できる量の飲み水と食料、最低限の身の回りの物をもって自力で船を操縦してきました。

ギリシャの海

ギリシャの海

命がかかっているのでサバイバルテクニックは後からついてくるのだそうです。

当時トルコ政府が方針を変えつつあり、今までウイグル(東トルキスタン)とトルコは親戚だと言い(民族としては同じ、またはほぼ同じ)、かなり柔軟な制度を頼りにトルコに引っ越してきたウイグル人がトルコの各地にたくさんいます。

時と共に、国際情勢の変化の影響を受け国の政策も方向転換をはじめました。そんな状況で滞在が難しくなってきたことを感じ、多くのウイグル人が人権的な面から住める場所を探して流れ出した時期でもありました。

おそらく敏感でない人はこの変化は自分には関係ないとか、きっと大丈夫と思ったりするでしょうが、自分に影響が出てからでは遅いから、と脱出を決意したのだそうです。

浜田さん、本当は別の国に行きたかったものの途中で船のエンジンが故障し、潮の流れと風に任せて漂着した先がギリシャだったようです。(このギリシャに漂着した話違う人から何回も聞きました、色々な方向から潮の流れと風がギリシャにむかっているのでしょうか?)

漂流から着岸

浜田さん、一週間以上の長い間漂流して、「あー陸が見えてきた、ギリシャに着くな」と思い、着岸前に緊急の連絡先(おそらく警察)に連絡しました。勝手に着岸すると銃で撃たれたりするかもしれないし、自走が出来ないのでうまく着岸できず事故になるかもしれません。

ギリシャ海岸

ギリシャ海岸

着岸する時にひと悶着あったそうですが、船には一人しか乗っていないので、YOUTUBEでよく見る、バリケードを張られたり狙撃準備がされたりという事はなかったといっていまいた。

よかったよかった。

その後、警察(または移民局)に連れられ、手続きをして、最終的に難民キャンプにしばらく住んでいたそうです。

難民申請、裁判、そして難民パスポート取得までの長い道のり

ある日、浜田さんが裁判の話をしてくれました。

詳しい手続きはわかりませんが、難民申請が受理されると最終的にUNHCR(United Nations High Commissioner for Refugees – 国連難民高等弁務官事務所)発行のパスポート(別名ブルーパスポート/難民パスポート)を取得することが出来ます。

自国のパスポート申請の話

なぜこの話になったかというと浜田さんが、何かの会話の時に

「僕のパスポートがもう切れちゃってるんですよ」

と言ったので私は

「大使館に行ってパスポート申請して発行してもらいなよ、私なんて日本大使館に行ったらその場でできて超早かったよ~」と言ったんです。

そうすると浜田さんは「そんなことしたら捕まっちゃいますよと」言ったのです。

意味が分からず、「何か犯罪でもして追われてるの?」と聞いたんですがそういう事ではないようでした 笑。

よくよく聞くとどうやらこういうことなんです。

ウイグル人の国籍は中国人で、ウイグル国というのはなく、中国の自治区なので、中国大使館に行かないとパスポートの発行または更新ができません。

ですがウイグル人はパスポートの期限が切れ更新申請をしに行くと大使館で捕まってしまいます。ということらしいのです。なのでパスポートを持っていません。

私はその時意味が全然わからず、「何を言っているのか???」と思っていました。

日本人にとってこの状況は理解するのがなかなか難しかったです。

最近いろんなニュースを聞いて浜田さんが言っていたことを理解しました。

またまたこのとき日本人で本当に良かったと思いました。

難民申請、実は手続きがとても難しく、途中で諦める人も続出

私はヨーロッパのパスポートがもらえると聞いて「いいなあ、私もヨーロッパのパスポートが欲しい!」と冗談めいたことを何度か言っていました。

詳しい事が良く分かっていなく、こんなことを言っていましたが、詳細を聞く事態はそんなに楽観視できません。日本人で良かったと心から思います。

まず難民申請をするためには裁判をして難民認定されなければいけません。

裁判では本当に難民なのかの確認のため、色々な項目をチェックして審査され、信憑性が確認されると難民認定されます。

特にギリシャではこの手続きには非常に時間がかかります。

というのはギリシャ自体も経済破綻し、更に数年前から難民が押し寄せ、今まで公務員だった人が解雇等で人数が減り、処理可能数が減り、同時に必要処理数が激増したため手続きに膨大な時間がかかるのです。

私の場合、雇用ビザの発行時にEU共通のカード発行に1年かかっていました。

雇用ビザでもこのような感じで、ビザは国に貢献してくれる人やお金持ちが最優先になるため、難民は自然に手続きは後回しになるのでしょう。

そのため、待ちきれずに他の国に行ってしまう人もたくさんいるようです。

ギリシャに残って待つ人は、生活費の節約のため、一部屋に3-4人でシェアをして1か月の家賃が一人当たり100ユーロ以下になるのです。色々な悪循環が生まれます。

ギリシャの経済、生活、難民問題などはこちらからご覧いただけます。

ギリシャの経済、生活、難民問題など
ギリシャの経済、生活、難民問題など ギリシャの失業率、ウイグル、シリア難民

因みに浜田さんちにも遊びに行きましたが、難民友達とシェアをしていて、廊下、ベランダまでスペースを無駄にする事なく全域で8-10人が住んでいました。因みに私は同じ位の大きさのアパートに一人で住んでいました、この違いがわかるでしょうか。

闇マーケットに出回るパスポートはおいくら?

みんな色々な知恵を働かせて暮らしているのですが、難民の誰かが本物の有効なパスポートを売っているという話があったそうです。こんな状況なので、みんなパスポートは喉から手が出る程欲しいのです。

「それって違法でしょう?」というと、

「そうですよ、それで万が一捕まったら今までの全ての苦労が水の泡になるので僕はやりませんが 笑」

そりゃそうだよね。しかも浜田さんは本当の難民だしね。笑」

「面白い話があるんですよ」と浜田さんは話を続けます。

売り出しになっていたパスポートは台湾国籍のパスポートで、(どうやって仕入れたのかは浜田さんも知りません)販売価格は500ユーロ。

落札者は見た目がめちゃくちゃラテン顔の男性(私は会ったことありません)。

彼は今まで何度か他の国に出ようとしたところうまくいかず何回も空港で追い返された経験者。空港の出国手続きの職員も慣れていて、まあ、頑張りなさい、みたいな感じなのだそう。

そのパスポートの顔写真は中華系の人の顔で、どう見ても本人ではないなのに、彼はとうとうこのパスポートでフランスまで飛び立つことができました。誰もチェックしなかったのかな?

たまに掘り出し物パスポートがあって、売っている場合があるようで、何人もこういうパスポートで旅行をしている人がいると聞きました。(どうやって仕入れるのかは知りたくないですね) 同じように顔写真を見ると絶対別人なのが分かるし、たまに性別も違う場合もあるようです。すごいな。

確かにEUフライトだとあまり細かくチェックしてないので運が良かったのかもしれません。

日本のパスポートはほぼどこでもノービザで行けて、”良いパスポート”に定義されます、そのため狙われやすいので気をつけましょう。また、こんな冒険はくれぐれも真似しないようにしてくださいね。

浜田さんから教えてもらったウイグルの話

 さてさて、ようやくウイグルの話です。浜田さんはこんな状況にも関わらず明るくひょうきんな性格でネガティブなことを言いません。

聞いた話は色々ありますが、食べ物の話と綿花の話がとても印象に残っています。

ウイグルラーメン(名称は違いますが私はそう呼んでいます)がおいしいんです。それからビリヤニというイスラムフードもおいしいです。

そして、当時はまだそんなに話題になっていなかった綿花の収穫。

ウイグルの地区は自然が豊富、土地も高地で肥沃しているのか、天然資源がたくさんあり、綿花の栽培がされていることでも有名です。

(この話今では色々な面で有名ですが、浜田さんと話していた時はここまで大きなニュースにはなっていませんでした)

ウイグルの人たちは綿の収穫期になると駆り立てられて収穫作業に参加をしないと学校で単位がもらえなかったそうです。収穫のコスト削減ですね。

(今考えると彼がまだ地元で生活できていた学生の頃なので20年以上前の話だと思いますが、その頃からこんなことが起きていたんですね。。。)

「ウイグルの綿は大きくて有名な代理店を一括管理して市場にでるから日本の有名な企業もウイグルの安い綿を使ってますよ」とのことでした。

浜田さんと日本人

ぶっちゃけ私は特に何か助けてあげられたわけではありませんでしたが、ギリシャの複雑な登録手続きの手伝いや、仕事をゲットするための情報提供、浜田さんの履歴書も書きました。

私が引っ越す時に捨てるのはもったいないけど売れないもの(かなりたくさんあって家族総動員で2往復分)を譲ったりもしました。

でもそれ以上に浜田さんに助けてもらったことがあります。

お互いに「この御恩は一生忘れません」と言って、私が先にギリシャを離れ、その後しばらくして浜田さんのパスポート取得と正式書類が揃ったことにより晴れてギリシャを離れました。

お互い年季明けのような感じでギリシャを卒業しました。

浜田さんが今まで暮らしてきた国で色々な場面で日本人にお世話になったと言っていました。時には就職斡旋をしてくれた人もいれば、国を超えて移動するときに同行してくれた日本人もいたそうです。

私はかなり長い期間海外で生活していて、特に日本語を学んだ人から日本人に助けられたという話をよく聞きます。逆に日本人に騙されたという話は個人的に聞いたことがありません。本当に日本人で良かったと思います。

こんな感想と私の経験談、本当に本人から聞いた話が何かのお役に立てれば嬉しいです。

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