下腹部のしこりから悪性リンパ腫と気付くまで——7つの病院をめぐってやっと診断が出た話

この記事では、私(Yosh)が悪性リンパ腫ステージ3と診断されるまでの経緯を、体験談として書いています。

「なんかおかしい」と感じながらも診断まで長い時間がかかった経験、つらい治療を受けた時の心境、治療を体験したからわかる知識や感情が、同じ状況にいる誰かの参考になれば、と思って何回かに分けて書いていきます。

もし、あなたやあなたの大切な人が同じ経験をしているのなら、体験者の話として少しでも参考になれたら嬉しいです。

病院の待合室の様子

この話は無茶なインド出張。——から始まります。 

その時Yoshは、日本にあるインドの会社で働いていました。プロジェクトは相当ひどい状態で、そのひどい状態を押し付けるために雇われたと言ってもおかしくない待遇でした。

「5日後にインドに行け」。そう言われてから、大至急でビザを取り、慌てて飛び立ちました。最初は2週間だけという話だったのに、プロジェクトが(案の定)うまく進まず、延長、延長で最終的には約3か月滞在することになりました。

その間、家族の事情があり、シンガポール経由で片道20時間かかる南インドから日本に戻りたった1日だけ滞在してインドにとんぼ返り、シンガポールでトランジット中は、自腹でラウンジに行き、7時間仕事する、というひどいブラックな日程をこなしていました。

当時のYoshは、プロジェクト進行中に出てくる難題を現地のインド人スタッフと共に、休日返上して対応していました。

そして、思い出すのも嫌だけど、1日20時間近く働いていて、休むことが出来ませんでしが。

そのうえ、非常識なクライアントがインドのジャングルでもらってきた変な風邪を移され、体調は絶不調。更に夜飲み会にも強制参加で、通訳。

体がとっくに悲鳴を上げていることは分かっていたけど、休む事が出来なかった。

その間、同僚のインド人は一人二人と倒れたり救急病院に行ってしまって音信不通になったりと、かなりひどい状況が続いていました。

そんなインドにほぼ監禁状態で滞在していたある日、右足から刺すような痛みが走るようになってきました。

以前Yoshは、子宮筋腫を患ったことがあったので、「この痛みはきっと子宮筋腫がまた大きくなったのだろう」——と勝手に思い込んで、痛みを無視しようとしていました。というか、異常な忙しすぎてそれ以外の可能性を考える頭の余白がなかったんですよね。

それでも、1日20時間座ったままでは体に良くないので週末の隙間時間にはマッサージに行ってメンテナンスを心がけていました。いつものお気に入りのセラピストさんに「ここに、なんかあるんだよね」と何気なく言ってみました。すると彼女は少し触れて、「本当だ何かあるね」と暖かいハーバルボールを当ててくれたりしました。

この時Yoshは、あまり事態を深刻に考えていなかったし、むしろなんでもないだろうと高をくくっていたのを覚えています。

 

インドの病院で3万円、でも検査結果はなし——海外のあるある体験

無視しているとは言いながらも、なんとなく引っかかり、一度倒れて救急病院から帰還した同僚が、病院に行った方がいいと現地の病院を紹介してくれました。

ちょうど2週間後には日本に帰国できる予定だったので、「破裂さえしなければ、日本でちゃんと診てもらおう」——そう割り切りながら、とりあえず診てもらうことにしました。

インドのその病院では、外国人が診察を受ける場合、外国人専用窓口があり、外国人患者担当のスタッフと担当の先生が対応してくれました。触診をして、症状を確認、先生曰くそんなに心配する必要はない(破裂はしないだろう)との見解だったけれど、もし検査をしたければ可能とのこと。

であれば、念のために検査をしたいと申し出て、今すぐ出来る検査をすることに。

そして「検査をするには、先に支払いをする必要がある」と言われました。

つまりその場で払わないと検査できないというシステムだった。日本円で約3万円。高いと思ったけど、正直この状況で値段とリスクを考えたら、お金を払って安心を買おうと思い、納得して払いました。

検査結果はPDFで送ってくれることになっていたので、帰国後に受け取ったPDFを開いてみると——検査項目はあるのに、結果に何も表示されていない。

「は?」と思いました。

担当者と一緒に方針まで決めて、結構な額のお金まで払ったのに。いったい何だったんだ。怒りというより、あまりにもバカバカしくて、しばらく呆然としました。異国で、体の不安を抱えながら、信じて払ったお金だった。でも、海外で医療を受けるときはこういうこと、結構あるんです。そのために色々やり取りをするわずらわしさを考えたら、『またか、もういいや』と思いました。

悪性リンパ腫と気づくまで——7つの病院をグルグル

日本に帰国して、まず向かったのはいつも行っている婦人科のクリニック。

ここで、先生からの驚きの発表『これは婦人科の領域ではない』と。

また、「は?」である。

そして、先生がこれは大学病院で検査した方がいいと言い、紹介してくれました。

「性病では?」——信頼していた病院で言われた言葉

この大学病院は以前に手術を受けたこともある、知っている病院。そういった背景はYoshにとって安心材料でもありました。

総合内科の先生に、できるだけ丁寧に症状を説明しました。足を動かすたびに走る刺すような痛み。インドへ出張していたという経緯。

50代位の大学病院の医師は、今思うと少し威圧的か印象があったのは否定できません。

そして、医師から返ってきた言葉は、こうでした。

「インドに行っていたんですよね?おおかた性病でしょう?」

一瞬、時が止まりました。

まさに特大の「は?」である。

私の話を、ちゃんと聞くというより、

「40代」の「女性」が「インドに出張で行っていた」——その3つだけで、この医師は、脳内の妄想が爆発してしまったのか?もしくは、トラウマでもあったのだろうか。

ここでYoshは察しました。

日本に20年ぶりくらいに戻って来て、感じていた、大体の日本男子は仕事が出来る女子、経験値が高い女子に劣等感を持っている場合が多く、「海外出張という言葉が受け入れられなかったのだろう。」と

勿論全員がそうではないけれど、日本に帰国してから何回も経験した事である。

怒りというより、呆れた感が込み上げてきた。でもそれ以上に、医師でも日本ではこんな感じなのかと哀れみさえ覚えました。

黙って診察室を出た。「二度と来るものか、話にならん。」と思いました。

7つの病院でたらい回しに——開腹したのに検査できなかった 

次の病院へ。また次の病院へ。結局色々な病院に行ってもよく分からず。

自分なりに症状を踏まえてたどり着いたのが、「ヘルニア」かもしれないという仮説。

そして、ヘルニア専門クリニックへ。

ここでもまた、「ヘルニアではないですね」と言われました。

もう相当疲弊していたが、先生は親切だったのが、救いだった。

クリニックは西東京にあり、先生が知っている神奈川県内の病院で思いつくのは横浜市立市民病院のみで、とりあえず行ってみてと紹介状を書いてくれました。

横浜市立市民病院は”総合内科”という科がないとのことで、自分で科を決めないといけないと言われます。

「そんなの分からないでしょ。」

困って、ヘルニアの専門の先生に電話して相談すると、

「専門外だから分からないけど、選択肢から察するに感染症内科ではないかな?」

と言われ、感染症内科に行く事に。

ここでYoshは思うのでした。

「患者が診療科を決めることなんて出来ないでしょ。分からないから来ているのに。なんて不親切な病院。」と。

そして、感染症内科で色々質問されました。(海外に長年住んでいて、海外出張で症状が出た人はサンプルとして珍しいので良いモルモットになったのだと思います)

その後、検査をします。

そして、モルモットなので気軽に開腹することになりました。

体感として、「この先生よく分かってなさそうなんだけど、本当に開腹してまで検査が必要なのか?」と大きな疑問点はあった。

それでも、「これで分かるなら」と自分に言い聞かせました。

(ここで、余談ですが、今まで何件か病院で外科の先生がする検査をしたのですが、日本の外科の先生の目が結構大きく切開されているのに驚きました。)

さて、検査が終わって、結果を待ちました。

そして告げられた内容が、今でも信じられない。検査に必要な細胞の採取がされていないので、検査結果は出せない。。。担当医が指示を忘れていたのだ。

お腹を切られて、傷跡まで付けられ、何も分からなかった。

声も出なかった。というか本当に疲れました。。。

この間、仕事に追われ、病院の待ち時間でもパソコンを開き、チャットをし、電話をしながら仕事をしている。そんな状態なのに、気軽に病院に何回も何回も来いと言われ、待たされた後にこの結果を聞かされた。そして、最後の捨て台詞「私には分からないです。次は血液内科に行ってください。」

「イヤイヤはしご酒してるんじゃないんだよ、こっちは。」

体も、お金も、時間も、気力も——全部削られていきました。なんだか、ぶっちゃけどうでもいいかなあと思うようにもなってきたのはこの頃です。

心が折れて、病院に行く事を放置した時期

こんな経験の後しばらく、病院に行くのをやめました。

正直、疲れ果てていたんですよね。行くたびに症状を最初から説明して、まともに聞いてもらえなかったり、体を切られても何も分からなかったり。その間も一日20時間労働は続き、睡眠もまともに取れないで働く毎日。もう無理だ、と思いました。

それでも「おかしい」という感覚は消えない。足の痛みも続いている。でもまた病院を探して行動に移す気力が、もうなかったんです。

あの時期の自分を、今は責めていないです。あれだけのことがあれば、誰だって折れますよ。折れていいとさえ思っています。

救いの手を差し伸べてくれる医師もいる——もう一度だけ、と思って動いた

それでも、やっぱりおかしい。その感覚だけがどうしても消えなかったある日。

健康診断でお世話になった MYメディカルクリニック渋谷の事をふと思い出しました。あのクリニックの人たちが親切で、先生もちゃんと説明してくれることを思い出したのです。

「少し長い話になるんですが」と前置きして、インドから始まった経緯を全部話しました。担当の先生は、最後まで傾聴してくれました。

そして、こう言ったのです。

「正直に言うと、私には経験不足で判断が難しいです。隣の部屋に院長がいるので、相談してもいいですか?」

その瞬間、目頭が熱くなりました。知ったかぶりをして、患者に色んな負担を強いて、挙句の果てに放り出すより、「分からない」と言える医師が、こんなに誠実に見えるとは思いませんでした。

これまでの病院での色々な嫌な思い出が走馬灯のように思い出されます。

院長は某病院の血液内科での勤務経験があるとのことで、症状を聞いてなんとなく予測ができたようなそぶりを見せました。そのときYoshは、やっと決着が付けられるかもしれないと内心思ったのを覚えています。

MYメディカルクリニック渋谷院長は話を聞いた後、大学病院への紹介状を書いてくれると言ったのですが、今までの黒歴史の話を正直に伝えました。

「このまま行くと、またグルグル回されて結局どうにもならないで時間ばかり経ってしまうことになりかねないので、ここでできる限り検査をして、大学病院にきちんと対応させる材料を持って行きたい」と。

院長は、理解し、快く応じてくれました。

更に、「ヘルニアのクリニックで撮ったMRIの画像も持ってきてください」と言われました。

Yoshは院長がきちんと状況を見極めようとしている姿勢を感じましたよ。丁寧に、プロフェッショナルにそして何よりもとても親切にかつ親身に。そのクリニックで受けた検査が、ようやく次への扉を開いてくれたのです。
MYメディカルクリニック渋谷の院長並びにスタッフの皆さんには、Yoshの命の恩人です。この場を借りて心からお礼を申し上げます。

悪性リンパ腫ステージ3——そして皮肉なオチ

当時、まだパンデミックの影響で、新患を受け付けない病院も多く、院長が紹介してくれようとした病院は新患は受け付けていないとのこと。

何件か当たってみたものの、断られ、結局あの、最初に「性病では?」と言われた大学病院しかすぐに受け入れてくれないと判明、渋々戻ることに。

説明は雑、検査をいくつかしたけれど、次に何をするのか、何のための検査なのかなどよく分からないままに雑に進んで行く。何をするのか、今どういう状態なのか、よく分からない。さすがあんな事を言う医師を雇う病院だとも思う反面、受け入れてくれたことには感謝をした。

結論から言うと、おそらく悪性リンパ腫であろうという予測のもとに、標準の検査が行われました。

一回横浜市立市民病院で検査を失敗した話をしていたので、一番大きくて、一番病んでいそうなリンパ節を切除し、検査ました。

そのため、思いっきり癌細胞が刺激されたんですね、検査結果を待っている3週間、右足が4倍ほどに膨れ上がりました。

最初は足首が腫れていたがそのうち膝も曲がらない位腫れあがってきた。

靴も服も入らない。

歩く事は出来ても、脚が曲がらないので、座ると立ち上がれない。

元々足は太いのですが、思いっきり足が太くなっている様子がこれです。

元々足は太いのですが、思いっきり足が太くなっている様子がこれです。

腫れていたかったので、ファイテンのチタンテープを貼っていました。

続けて標準検査の癌の定番PET検査。

これは、癌細胞はブドウ糖に反応するという性質を利用して、ブドウ糖に似た薬剤を注射して、もし癌だったらその薬剤が癌細胞に集まってくるところを撮影する検査です。

もう、これで、ばっちり、右足の鼠径部から膝位まで、そして、右だけでは収まりきらずに左側にまで回っちゃっている画像が撮れましたよ。

画像は結構えぐいのでここには貼りません。

後から聞いた話だけれど、検査でリンパ節を切った後、刺激された影響で、足が約8kgほど膨れ上がっていたのだと。

担当の先生は「こうなるとは思っていなかった、もっと検査結果を早く出せばよかった」と謝ってくれました。

同じ病院でも、先生によって、対応はまちまちですね。本心から謝ってくれる気持ちがある先生を、こちらとしても無理に責めようとは思わなかったです。

でも、正直日に日に腫れていく足を見てこのまま破裂するか、元に戻らないかもしれないという恐怖。。。本当に怖かったです。

診断が出る前から、MYメディカルクリニック渋谷の院長先生がほぼ教えてくれていました。頭では分かっていた。覚悟もしていたつもりだった。

それでも、確定診断の言葉『悪性リンパ腫 ステージ3』と聞いたとき、頭が真っ白になりました。

「もしかしたら、癌じゃないかもしれない」——そんな小さな希望を、ずっと心のどこかに持ち続けていたから。その希望は、無残にも音もなく消え去った瞬間だった。

落胆は、想像を絶するものでした。

涙が勝手に流れ出してしまう。でも、10秒くらいたっただろうか。

Yoshは、はっと我に返って「いやいや、泣いている場合ではないぞ、まだ生き続けてやらなくてはいけない事がたくさんある」

Yoshは、結構自然派(?)なので、抗がん剤治療は懐疑的でした。

Yosh「抗がん剤治療はせずに鍼とか漢方とか、自然療法で治療をしたい」と告げました。

先生「そういう事を否定はしないし、やればいい。でも抗がん剤治療はしないと命が危険ですよ」

Yosh「分かりました。では、質問ですが、もし抗がん剤治療をしないと私はシにますか?」

先生「はい、シにます!」

チーン。。。である。

即答かよ。。。

Yoshの心の声『日本の医師ってそんなに直球で回答するんかい』

しかも、緊急事態のようなので、先生が「明日来れますか?」

Yoshの心の声『大学病院ってそんなに気軽に入院出来るのかよー』

なんとなく急を要することを察知しました。翌々日に入院。こうして、Yoshは6回の抗がん剤治療をイヤイヤ受けることになったのです。

悪性リンパ腫の一般的な症状——教科書通りじゃないこともある

悪性リンパ腫は、気づかれにくい病気と言われることがあります。

症状がなかなか出ない、または出ていても本人も気付かないケースが多く、発見されたときにはすでに進行しているケースも少なくないと聞きます。

よく言われる主な症状はこちら。

・首・脇・足の付け根などのリンパ節の腫れ(痛みを伴わないことが多い)

・原因不明の発熱(38度以上が続く)

・ひどい寝汗(夜中に寝具が濡れるほど)

・体重の急激な減少(6か月で体重の10%以上)

・強い倦怠感・疲労感 ・かゆみ(皮膚に症状が出ることもある)

Yoshの場合—— 寝汗はなし(ほぼ寝ていなかったのでw)。 

体重は減少どころか爆増(癌になるとみんな瘦せると思っていたのに、とても残念)。

最初に腹部に何かあると感じた時に鼠径部(足の付け根)のリンパ節が腫れていたのでしょう。

でも、リンパ節が腫れた経験がなかったので、”腫れている”という事が分からなかったです。

今思うと、だるいという症状はあったものの、IT関連の仕事していると寝不足は通常運転で、いつもだるいので、正直、境界線が分からなかったです。無理しすぎるのはダメですね。

症状は教科書通りじゃないこともある。

「症状が当てはまらないから大丈夫」とは言い切れないんでなあと思います。

悪性リンパ腫の体験談から

もしこの記事を読んでいるあなたが「なんかおかしい」と感じているなら、その直感を信じてほしいです。もしかしたら何でもないかもしれないし、もしかしたら何か病気になっているかもしれません。

少しでも早く治療を開始することが出来る事があなたのリスクを減らすことに繋がるとYoshは考えています。

同じ”医師”の看板を掲げていても、色々な人がいます。世代や、考え方、バックグラウンド。もし話がかみ合わない事が続く場合は、自分で行動力をもって違う病院を頼る勇気も重要です。

「分からない」と正直に言える医師もいれば、「何かあるね」と一緒に向き合ってくれる人は必ずいます。私はそれを、身をもって知りました。

次の記事では、悪性リンパ腫の抗がん剤治療について書いていこうと思います。6回の治療で体と心に何が起きたか、正直に残しておきたいです。

 

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